精神分析的心理療法について

「心理療法」や「カウンセリング」には、心の捉え方や進め方によって、さまざまな種類があります。当オフィスでは、そのなかでも精神分析的心理療法をご提供しています。そこでは、現実の世界で経験されること、夢や心に浮かぶこと、そして面接の場で起きてくることを手がかりに、いま感じておられる苦しさが、ご自身の心の世界とどのように関わっているのかを一緒に考えていきます。

ただ、当オフィスでは、すぐに継続を決めるのではなく、まず3〜4回ほどのアセスメント面接を設けています。アセスメント面接では、ご事情や現在のお困りごとをうかがいます。また、思い浮かぶことを自由にお話しいただきながら、当オフィスでの面接の雰囲気も実際に体験していただきます。この過程を通じて、精神分析的心理療法が有益な選択となるかどうか、継続するかどうかを一緒に考えていきます。

このページでは、1〜4節で当オフィスで大切にしている精神分析的心理療法の考え方を、5節で実際の進め方をご説明しています。進め方を先に知りたい方は、5節からお読みください。

1. 現実の世界の中にいる私

私たちは、現実の世界の中に存在しています。そこには家族やパートナー、友人、職場の同僚などがいて、私たちはこの人々と特有の関係を持ちながら、社会的な領域で、そしてプライベートな領域で、さまざまな活動をしています。そうした経験が、私たちの生活を形作っています。

現実の世界が苛酷なものであることは、少なくありません。生まれ育った家庭の中に不仲や悲惨な関係があったり、愛する人から見捨てられたり、職場で自分を痛めつけるような人物と関わらざるをえない状況に立たされたりすることがあります。事故や災害、病気をきっかけとして、自分の人生が決定的に不幸なものと化してしまったように感じることもあります。

困難や苦悩への対処として、この現実の世界を変えるアプローチが取られることがあります。家族や職場などへの具体的な働きかけによって、環境を整備し調整するのです。環境を一新するような行動を取ることも、その一つです。

Mädchen am Ententeich
Paula Modersohn-Becker Mädchen am Ententeich

実際、問題の性質によっては、こうした現実世界への介入や環境の変化が優先されます。現実の世界へのアプローチは、問題解決に大きな効果を発揮する場合があるのです。

現実の世界を変えようとはせずとも、当人が悩みから離れられるような心理状態を支援する試みもあります。例えば、気持ちを切り替えたり、過去にとらわれないようにするのです。あれこれと考えてみたところで、現実の世界は変わらない。ならば、新しいことや楽しいことに目を向け、苦しみの境地から抜け出そうというわけです。

こうしたやり方も、場合によっては、効果があるはずです。実際、程度の差はあれ、日々のストレスや悩みに対して、私たちは、そうしてきたのではないでしょうか。

しかし、これらのやり方でも解決されない困難や苦悩がある。そう感じている方も、おられることでしょう。

2. 心の世界の中にいる私

私たちは、たしかに、現実の世界の中で生活しています。と同時に、私たちには「心」という、もうひとつの世界があります。心の世界の中に、私たちは存在してもいるのです。

「心の中に自分がいる」と聞くと、不思議に思われる方もいるかもしれません。それでは、寝ているときに見る「夢」はどうでしょうか。外の世界から離れ、現実の活動を休止している睡眠中に、私たちは夢を見ます。夢の中で、愛や憎しみ、歓喜、悲しみ、恐怖といった感情が引き起こされる出来事に遭遇したことがあるでしょう。ときに驚いて目を覚まし、「あれは夢だったのか」と気づくのです。

では、あの夢の中の出来事は、ただの虚構に過ぎなかったのでしょうか。そこで湧き上がった感情には、何の真実味もなかったのでしょうか。

当オフィスで大事にしている心の治療に対する考え方の一つに、私たちが夢を見るという事実そのものが、私たちが心の中に存在してもいることを示している、というアイデアがあります。夢の中の出来事には、自分の知っている日常の生活では説明しがたいものがあります。夢が私たちに見せてくるものとは、私たちが心の世界で経験している真実性のある何ものか、です。眠りに落ち、そこで夢を見ることができて、目覚めてから夢について思い巡らせることができたなら、普段は意識できない心の世界の中の自分に出会えるきっかけになるでしょう。

「現実の世界」と「心の世界」。私たちは生まれたときから、この二つの世界を生きてきました。そして、私たちの「心」は、人生という長い時間の中で、現実の世界とさまざまな反応を繰り広げてきました。こうして、「心」は、その人に固有の世界としてできあがったもののようです。

3.「心の世界」が「現実の世界」に影を落とすとき

心の世界が現実の世界とのあいだで反応を起こすとき、自分の知らないうちに、心の世界のものが現実の世界にあふれ出すことがあります。その程度がはなはだしいとき、現実は心の色で染め上げられます。私たちのパーソナルな経験には、この二つの世界がどう交わり、混ざり合うかが、大きく影響しているようなのです。

たとえば、心の世界が、攻撃し傷付け合う人たちがうごめく「戦場」であるとき、その人の経験の仕方は、どういうものになるでしょう。ひょっとして、現実の世界に、心の中の戦争の影が忍び寄るかもしれません。たとえこの人を取り囲む環境が、第三者から見てどんなに平和なものであったとしても、心の中の戦場が現実の世界に広がって、その人自身は誰かに責められたり脅かされたりする恐しい日々を過ごしているかもしれないのです。

こんなひどい環境から逃れようと、新しい環境に移り、人間関係を一新したとします。しかし、その人が、戦場のような心の世界の住人である限りは、いずれは以前と同じように、自分を責めたり脅かしたりしてくる人たちに取り囲まれる日々が繰り返されるかもしれません。

外側では恵まれた生活を送っているように見えても、心の中に不幸な要因を抱えている人がいます。そのとき、その人は、幸せとは程遠い人生の中にいるでしょう。心の中の不幸が外の世界を覆いつくし、現実の世界に良いものはないように感じられるのです。

人生のさまざまな困難や苦しみに、心の世界からの影が落ちていることがあるのかもしれない。そういう方にとって、自らの心に向き合う心理療法が一筋の光となることがあります。

しかし、いざ心に向き合おうとしても、この心というものをとらまえることが、実際はとても難しいのです。なぜなら、心の世界の中に私たちは存在しているにもかかわらず、その世界の全貌を自分で意識することができないからです(この心の世界の光景を、ときに私たちに垣間見せてくれるものの一つが、夢でした)。

  • 心の世界にいる自分とは、一体どういう自分なのか
  • 心の世界にはどんな人がいて、その人たちとの間で自分はどんな経験をしているのか

こうした心の世界の中の事実は、通常は意識されず、知られないままです。

しかし、心の世界にまつわる事実が知られないままでいると、心の世界が現実の世界と反応を起こしていても、私たちはその気配に気づくことができません。普段の生活の営みに落ちた心の影に気付かぬまま、私たちは苦悩し、自分を苦しめる人を避け、一人閉じ込もり、自らの境遇を嘆き続けることがあります。

では、どうして心の世界の事実は、通常は意識されず、知られないままでいるのでしょうか。おそらくそれは、心の世界も、そこにいる自分の姿も、私たちにとってあまりに受け入れがたい場合が多いからです。そのため私たちは、その存在から目を背け、知らないままで生きてきます。それ自体は、むしろ自然なことでもあるでしょう。

しかしその代わりに、心の影は日々の人間関係の中に差し込みます。自分でも理由の分からないまま、人を恐れて身を引き、人を愛し憎み、自分がなくなる不安に怯え、自分の人生を嘆くことになるかもしれません。

そして、そうした方にとっては、この現実の世界と心の世界との不幸な関係が変わらない限り、苦しみの根の部分は残り続けるでしょう。

Spielende Kinder
Otto Modersohn Spielende Kinder

4. 精神分析的心理療法で大切にしていること

私たちは、人生でさまざまな苦悩や困難を経験しながらも、その一方で自分の心の事実を知る経験を持てないままにいます。しかし、その状態のままだと、苦悩のたびに心の事実はより苛酷なものとなります。心の世界に得体の知れないものが潜みうごめくようになります。すると、現実に落ちる心の影もまた、より色濃く、大きくなることでしょう。しかしこういう生き方が、現実の世界と心の世界とのあいだの不幸な循環を生み出し続けていることに、自分ではなかなか気づくことができないのです。

ジークムント・フロイトの創始した「精神分析」とその後継者たちの実践は、こうした人間理解を、実際の治療経験に基づく根拠をもって、深く教えてくれるものです。それは必然的に、苦悩の中でこそ自分に向き合う治療にも意義があることを、私たちに示してくれています。

ですから、精神分析的心理療法では、たとえとらまえるのが難しい心ではあっても、心理療法に取り組まれる方の心に何とかコンタクトしようとします。そのために当オフィスでは、心理療法の営みの場を、心の世界の影が落ちる舞台としてご提供したいと、考えています。心理療法家に対して、ご自分が何らかの気持ちや思いを抱かれたなら、どんな気持ちや思いであっても、それは心の世界の影の一部なのかもしれません。心理療法家はこうした影が自らの心に感受されることを、治療者としての大事な務めであると考えています。そして、そういう経験をその方と一緒に考えていくことに力を注ぎます。

ご自分は、心に浮かぶことを自由にお話できるか、心理療法の面接で取り組んでみてください。そうした取り組みを巡って経験されるものから、心の世界の事実に通じる道が見えてくるからです。

これは、知的な自己理解とは違います。面接の内外で経験されることを手がかりに、心理療法家と一緒に考えながら、ご自身の心の世界を知っていく営みです。

心理療法が進んでいくと、心理療法家に向けられる気持ちも含め、さまざまな体験が起こりえます。そうした体験の中に、その方の心の世界が色濃く反映している可能性がないだろうか、と考えていきます。その都度、無理に結論を急がず、一緒に言葉にして確かめていきます。

心理療法を通じて、影のままだった心に向き合えるようになると、これまで恐ろしくて目をそらしていた自分に出会い、その姿を直視できる力が少しずつ芽生えてきます。たしかに、瞑っていた目を開けて、知らないままでいた自分に向き合うことには、これまで感じたことのない苦しみが伴なうでしょう。しかし、その苦しみは、心の影を知らぬまま、人を避け、一人閉じこもり、自らの境遇を嘆き続けていた頃の苦しみとは、違っています。それは、発達し成長した心こそが経験できる種類の苦しみです。この変化は、得体の知れないものに縛られ支配されていた心に、少しずつ自由がもたらされる過程でもあるのです。

こうして心の世界の脅威が後退していくと、それまで影に覆われていて見えていなかった現実が、新たな姿を見せ始めます。現実の世界の事実に気づき、もう一度、現実の世界と出会い直す経験が得られるのです。

心の事実を知ることは、現実の世界にあった事実を知ることと表裏一体です。こうして、現実の世界をこれまでとは違う形で経験できるようになると、人や出来事をもっとバランス良く捉えられたり、大切な人の存在に気づけるようになるでしょう。現実の世界とのつながりを作り直し、そこでの関係を育む力が芽生えます。このような変化は、心の成長と発達をもたらし、現実の世界と心の世界とのあいだの不幸な関係を、より豊かで生き生きとした交流へと変えていく可能性があります。それは、自分自身の人生を生きられるようになることだとも言えるでしょう。

Kirchgang
Otto Modersohn Kirchgang

5. 当オフィスでの心理療法の進め方

ここまでの話から、当オフィスの心理療法は少し難しそうに感じられた方もおられるかもしれません。ただ、何に苦しんでいるのか、何がここで大事な問題になるのかは、面接を重ねるなかで、少しずつ輪郭を現してくることがあります。

当オフィスでは、心理療法を開始する前に、何回かのアセスメント面接を設けています(状況により前後します)。アセスメント面接では、心理療法を求められるに至ったご事情や現在のお困りごとについてうかがいます。また、思い浮かぶことを自由にお話しいただきながら、当オフィスでの面接の雰囲気や、心理療法家の言葉の伝わり方も実際に体験していただきます。

この過程を通じて、抱えておられる問題がどういう性質のものか、その方にとってどのような援助が適切かを話し合っていきます。また、精神分析的心理療法が有益な選択となるかについての見解をお伝えします。そのうえで、ここで継続するか、ここで終了とするかを、話し合いながら決めていきます。終了の場合にも、今後の方向性を一緒に考えます。

精神分析的心理療法は、助言やアドバイスを中心にした面接とは進め方が異なるため、結論を急がないことがあります。しかしその分、面接の内外で経験されることを手がかりに、ご自身の心の世界と現実の世界との関わりを、より深く理解していくための面接です。

継続する期間は、その方の状況や目的によってさまざまですが、多くの場合、一定の時間をかけてご自身のことを考えていくことになります。当オフィスの開室時間や面接の頻度、料金などはご利用案内にまとめています。ご相談をご希望の方はお問い合わせからお知らせください。