精神分析的心理療法について

心理療法(サイコセラピー)は(「カウンセリング」という言葉の方がなじみがおありかもしれません)、人生のさまざまな苦悩や困難、心の不調、精神的な症状などに苦しんでおられる方が、心理療法を専門する面接者(以下、心理療法家)とともに自分自身の心に向き合うことで、ご自分の問題の解決に取り組む治療的な経験のことです。しかし、一口に「心理療法」や「カウンセリング」と言っても、心の捉え方やアプローチの仕方によって、実際には、さまざまな種類があります。

ここでは当オフィスでご提供できる「精神分析的心理療法」についてご説明します。当オフィスの選択を検討される際の参考になさってください。

目次

1. 現実の世界の中にいる私

2. 心の世界の中にいる私

3.「心の世界」が「現実の世界」に影を落とすとき

4. 精神分析的心理療法の特徴と効果

5. 当オフィスの心理療法の実際

1. 現実の世界の中にいる私

私たちは、現実の世界の中に存在しています。そこには家族やパートナー、友人、職場の同僚などがいて、私たちはこの人々と特有の関係を持ちながら、社会的な領域で、そしてプライベートな領域で、さまざまな活動をしています。そうした経験が、私たちの生活を形作っています。

現実の世界が苛酷なものであることは、少なくありません。生まれ育った家庭の中に不仲や悲惨な関係があったり、愛する人から見捨てられたり、職場で自分を痛めつけるような人物と関わらざるをえない状況に立たされたりすることがあります。事故や災害、病気をきっかけとして、自分の人生が決定的に不幸なものと化してしまったように感じることもあります。

困難や苦悩への対処として、この現実の世界を変えるアプローチが取られることがあります。家族や職場などへの具体的な働きかけによって、環境を整備し調整するのです。環境を一新するような行動を取ることも、その一つです。

京都の四条烏丸(四条駅・烏丸駅)にある精神分析的心理療法(心理カウンセリング)オフィスの北岡心理療法オフィスのイメージ画像
Modersohn-Becker, Paula
Mädchen am Ententeich

実際、問題の性質によっては、こうした現実世界への介入や環境の変化が優先されます。現実の世界へのアプローチは、問題解決に大きな効果を発揮する場合があるのです。

現実の世界を変えようとはせずとも、当人が悩みから離れられるような心理状態を支援する試みもあります。例えば、気持ちを切り替えたり、過去にとらわれないようにするのです。あれこれと考えてみたところで、現実の世界は変わらない。ならば、新しいことや楽しいことに目を向け、苦しみの境地から抜け出そうというわけです。

こうしたやり方も、場合によっては、効果があるはずです。実際、程度の差はあれ、日々のストレスや悩みに対して、私たちは、そうしてきたのではないでしょうか。

しかし、これらのやり方でも解決されない困難や苦悩がある。そう感じている方も、おられることでしょう。

2. 心の世界の中にいる私

私たちは、たしかに、現実の世界の中で生活しています。と同時に、私たちには「心」という、もうひとつの世界があります。心の世界の中に、私たちは存在してもいるのです。

「心の中に自分がいる」と聞くと、不思議に思われる方もいるかもしれません。それでは、寝ているときに見る「夢」はどうでしょうか。外の世界から離れ、現実の活動を休止している睡眠中に、私たちは夢を見ます。夢の中で、愛や憎しみ、歓喜、悲しみ、恐怖といった感情が引き起こされる出来事に遭遇したことがあるでしょう。ときに驚いて目を覚まし、「あれは夢だったのか」と気づくのです。

では、あの夢の中の出来事は、ただの虚構に過ぎなかったのでしょうか。そこで湧き上がった感情には、何の真実味もなかったのでしょうか。

当オフィスで大事にしている心の治療に対する考え方の一つに、私たちが夢を見るという事実そのものが、私たちが心の中に存在してもいることを示している、というアイデアがあります。夢の中の出来事には、自分の知っている日常の生活では説明しがたいものがあります。夢が私たちに見せてくるものとは、私たちが心の世界で経験している真実性のある何ものか、です。眠りに落ち、そこで夢を見ることができて、目覚めてから夢について思い巡らせることができたなら、普段は意識できない心の世界の中の自分に出会えるきっかけになるでしょう。

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Modersohn, Otto
Spielende Kinder

「現実の世界」と「心の世界」。私たちは生まれたときから、この二つの世界を生きてきました。そして、私たちの「心」は、人生という長い時間の中で、現実の世界とさまざまな反応を繰り広げてきました。こうして、「心」は、その人に固有の世界としてできあがったもののようです。

3.「心の世界」が「現実の世界」に影を落とすとき

心の世界が現実の世界とのあいだで反応を起こすとき、自分の知らないうちに、心の世界のものが現実の世界にあふれ出すことがあります。その程度がはなはだしいとき、現実は心の色で染め上げられます。私たちのパーソナルな経験には、この二つの世界がどう交わり、混ざり合うかが、大きく影響しているようなのです。

たとえば、心の世界が、攻撃し傷付け合う人たちがうごめく「戦場」であるとき、その人の経験の仕方は、どういうものになるでしょう。ひょっとして、現実の世界に、心の中の戦争の影が忍び寄るかもしれません。たとえこの人を取り囲む環境が、第三者から見てどんなに平和なものであったとしても、心の中の戦場が現実の世界に広がって、その人自身は誰かに責められたり脅かされたりする恐しい日々を過ごしているかもしれないのです。

こんなひどい環境から逃れようと、新しい環境に移り、人間関係を一新したとします。しかし、その人が、戦場のような心の世界の住人である限りは、いずれは以前と同じように、自分を責めたり脅かしたりしてくる人たちに取り囲まれる日々が繰り返されるかもしれません。

外側では恵まれた生活を送っているように見えても、心の中に不幸な要因を抱えている人がいます。そのとき、その人は、幸せとは程遠い人生の中にいるでしょう。心の中の不幸が外の世界を覆いつくし、現実の世界に良いものはないように感じられるのです。

人生のさまざまな困難や苦しみに、心の世界からの影が落ちていることがあるのかもしれない。そういう方にとって、自らの心に向き合う心理療法が一筋の光となることがあります。

しかし、いざ心に向き合おうとしても、この心というものをとらまえることが、実際はとても難しいのです。なぜなら、心の世界の中に私たちは存在しているにもかかわらず、その世界の全貌を自分で意識することができないからです(この心の世界の光景を、ときに私たちに垣間見せてくれるものの一つが、夢でした)。

  • 心の世界にいる自分とは、一体どういう自分なのか
  • 心の世界にはどんな人がいて、その人たちとの間で自分はどんな経験をしているのか

こうした心の世界の中の事実は、通常は意識されず、知られないままです。

しかし、いくらそれが難しいからと言って、心の世界にまつわる事実が知られないままだと、心の世界が現実の世界と反応を起こし、心の影が現実を覆ったとしても、私たちがその気配に気づくことはないでしょう。普段の生活の営みに落ちた心の影に気付かぬまま、私たちは苦悩し、自分を苦しめる人を避け、一人閉じ込もり、自らの境遇を嘆き続けるしかなくなるかもしれません。

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Moordamm

さて、先ほど、心の世界の中の事実は通常は意識されず、知られないままである、と言いました。それは、どうしてなのでしょうか。おそらく、心の世界も、そこにいる自分の姿も、私たちが直視して意識するには、あまりに受け入れがたいものである場合が多いからだと思います。そのため、私たちは無意識のうちにその存在から目を背け、知らないままで生きてきたし、それがむしろ自然な選択になったのでしょう。その代わり、日々の人間関係の営みにいつのまにか心の影が差します。私たちには、おのれの心の影が見えないままに、ひとを恐れて身を隠し、ひとを愛し憎み、自分がなくなる不安に怯え、自分の人生を嘆くことになっているのかもしれない。

そして、そういう方にとっては、この現実の世界と心の世界との不幸な関係が変わらない限り、根本的な問題の解決には至らないでしょう。

4. 精神分析的心理療法の特徴と効果

私たちは、人生でさまざまな苦悩や困難を経験しながらも、その一方で自分の心の事実を知る経験を持てないままにいます。しかし、その状態のままだと、苦悩のたびに心の事実はより苛酷なものとなります。心の世界に得体の知れないものが潜みうごめくようになります。すると、現実に落ちる心の影もまた、より色濃く、大きくなることでしょう。しかしこういう生き方が、現実の世界と心の世界とのあいだの不幸な循環を生み出し続けていることに、自分ではなかなか気づくことができないのです。

ジークムント・フロイトの創始した「精神分析」とその後継者たちの実践は、こうした人間理解を、実際の治療経験に基づく根拠をもって、深く教えてくれるものです。それは必然的に、苦悩の中でこそ自分に向き合う治療にも意義があることを、私たちに示してくれています。

ですから、精神分析的心理療法では、たとえとらまえるのが難しい心ではあっても、心理療法に取り組まれる方の心に何とかコンタクトしようとします。そのために当オフィスでは、心理療法の営みの場を、心の世界の影が落ちる舞台としてご提供したいと、考えています。心理療法家に対して、ご自分が何らかの気持ちや思いを抱かれたなら、どんな気持ちや思いであっても、それは心の世界の影の一部なのかもしれません。心理療法家はこうした影が自らの心に感受されることを、治療者としての大事な務めであると考えています。そして、そういう経験をその方と一緒に考えていくことに力を注ぎます。

ご自分は、心に浮かぶことを自由にお話できるか、心理療法の面接で取り組んでみてください。そうした取り組みを巡って経験されるものから、心の世界の事実に通じる道が見えてくるからです。

こうした治療は、知的な自己理解とは違います。心理療法のある生活を送る中で、その方が面接の内外で実際に経験にされるものを手がかりに、心理療法家と一緒に考えながら、ご自身の心の世界を知る営みです。

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Modersohn-Becker, Paula
Mädchen mit Kaninchen

心理療法を通じて、影のままだった心に向き合えるようになると、これまで恐ろしくて目をそらしていた自分に出会い、その姿を直視できる力が少しずつ芽生えてきます。たしかに、瞑っていた目を開けて、知らないままでいた自分に向き合うことには、これまで感じたことのない苦しみが伴なうでしょう。しかし、その苦しみは、心の影を知らぬまま、人を避け、一人閉じこもり、自らの境遇を嘆き続けていた頃の苦しみとは、違っています。それは、発達し成長した心こそが経験できる種類の苦しみです。この変化は、得体の知れないものに縛られ支配されていた心に、少しずつ自由がもたらされる過程でもあるのです。

こうして心の世界の脅威が後退していくと、それまで影に覆われていて見えていなかった現実が、新たな姿を見せ始めます。現実の世界の事実に気づき、もう一度、現実の世界と出会い直す経験が得られるのです。

心の事実を知ることは、現実の世界にあった事実を知ることと表裏一体です。こうして、現実の世界をこれまでとは違う形で経験できるようになると、人や出来事をもっとバランス良く捉えられたり、大切な人の存在に気づけるようになるでしょう。現実の世界とのつながりを作り直し、そこでの関係を育む力が芽生えます。それは、自らが主体的に人生を築いていく道を歩き出していることを意味します。

5. 当オフィスでの心理療法の実際

これまでの話から、精神分析的心理療法は大変そうだ、と感じられた方もいることでしょう。実際、それは時間とエネルギーを必要とします。そして、ご自分の心の中から湧き上がるモチベーションがとても大事になる治療です。

心理療法が進展し、終結するまでには、数年を要することも珍しくありません。その間、日々の生活の一部(少なくとも週1回)を心理療法の面接のための時間として確保し、さらに収入の一部を心理療法の費用に割り当てることも必要となります。これは決して軽い負担ではないでしょう。

また先に述べたように、心理療法家は、自らの心に感受されたその方の心についての理解を、言葉で伝えようと試みます。それは、助言やアドバイスといった即時的な解決を提示するものではないので、「苦しみを一刻も早く解決して楽になりたい」というご要望を満たすような言葉とは、おそらく違うものです。

精神分析的心理療法が、現実の世界に直接的な介入を行ったり、苦悩から離れることを勧めたりするものでもないことは、最初にご説明していました。そうではないところにこそ、精神分析的心理療法が持つ独自の意義と効果があることを述べてきました。

そして何より、さまざまな苦難に出会う治療です。何も変わらない、良くならないという思いがしたり、解決に向かっていると感じていたのに振り出しに戻ってしまったように感じることが、あるかもしれません。これまで感じることのなかった気持ちや思いが溢れてきて、楽になるどころか、かえって苦しいと感じることも珍しくはありません。ご自身の心が心理療法家の心と接触し反応が起きれば、心理療法家に対して良い思いだけでなく、嫌な思いを抱くことも出てきます。

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Kirchgang

しかし、精神分析的心理療法では、その過程で直面するこうした苦難を、あえて避けようとはしません。それどころか、こうした苦難にこそ、心の世界が色濃く兆している可能性がないだろうか、と考えようとする治療です。そしてその中に、ご自分の心が成長し、生き生きと動き始めた証を見出せる治療です。

精神分析的心理療法には、心の本質的な成長と発達をもたらす可能性があります。現実の世界と心の世界との間の不幸な関係を、豊かで生き生きとした交流へと変化させる可能性があります。それは、自分自身の人生を生きられるようになることだとも言えるでしょう。

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Sommer im Moor

しかし、当オフィスでご提供する精神分析的心理療法は、現実的な負担もさることながら、その方の状態や、抱えておられる問題によって、それが必ずしも適切な治療とはならない場合もあります。ですから、精神分析的な心理療法を実際に始めるかどうかは、慎重に判断する必要があります。当オフィスでは、そうした判断のために、具体的には以下のような機会を設けています。

まず、最初にお会いする面接で、ご自身が今回、当オフィスでの心理療法を求められるに至ったご事情(悩んでおられるご自身の状況や状態、体験、行動、症状など)と治療の動機について、お伺いします。そこでまず心理療法の必要性について吟味し、ご本人の意思も確認した上で、2、3回の面接をご提案することになります。ここでご自身が心に浮かぶことを自由にお話ししてもらい、心理療法家から伝えられる言葉も実際に体験されてみて、当オフィスでの精神分析的心理療法の雰囲気や取り組みを実感していただきたいと思います。

この数回の面接で、心理療法家は、「抱えておられる問題がどういう性質のものなのか」、「そのための治療法として、精神分析的心理療法が有益な選択となるか」といった点についての見解をお伝えします。ご自身は、実際の心理療法を体験しながら、こうした心理療法家の見解も知った上で、この治療がご自分の必要としているものなのかを考えられるでしょう。こうした対話をしながら、「当オフィスで精神分析的な心理療法を継続していくか」、「ここで終了とするか」、「終了とするなら今後の治療も含め、どういう方向性が考えられるか」を決めていきます。